フリーランスの車屋さん

自動車の海外グローバルビジネス講座へようこそ

私のきっかけ

私、小倉まなみことミンチーは、自宅近所の自動車整備工場が閉社になったものの、当時の社長のおかげで中古車オークション会場に出入りし続けられて、フリーランスで自動車業を続けられることとなりました。

そして「自動車の海外グローバルビジネス」を始めるようになっていきます。

当時の社長のおかげで、自分のオークション会員カードにて、中古車オークション会場には出入りできて、自動車を入札、落札も出来てはいたのですが、会社で会社員として勤務していた頃と同様に、国内の自動車業界の景気は良くなく、国内の顧客を取る、国内販売の営業には苦労させられ続けていました。

そんな私たち国内販売組とは逆に、相変わらず海外販売組の外国人たちは、景気良さそうにどんどん自動車に入札していき、高値で落札していきます。

やっぱり、海外販売を始めないと、このままではダメだな。

海外販売組の外国人たちを眺めながら、私は考えていました。

でも、自動車を海外販売する方法など、当時の私には全くわかりません。

今は少し金髪から茶髪に色を落として、少し落ち着いた髪色にしているが、高校時代の私は金髪にショーパンでちょっと粋がってた。

そんな私も今はプリンセストレーディング、長野に在る自動車輸出会社で営業マネージャーなんてやってる、そしてここでプリンセストレーディング代表の祥恵に半ば強引に自動車輸出の講師まで勤めさせられることになった小倉まなみです。

小倉まなみというのは本名、社内で日本人同士の名前で、海外の自動車バイヤーと商談するときには外国人にも発音しやすいようにミンチー(Minchy)の名前で交渉し合っている。

プリンセストレーディングは自動車を輸出する会社だ、おかげさまで仕事は忙しすぎるぐらいに忙しい。それというのも国内の車屋さんで自動車の輸出、海外販売までやっている車屋さんが圧倒的に少なすぎるせいだった。

もっと日本国内の車屋さんが皆自分たちで輸出、海外販売までやってくれていれば、私たちがこんなに忙しすぎることもないのに、世界のニーズに対し需要と供給のバランスが取れてない。

そのことをプリンセストレーディング代表の祥恵と話していたら、もっと多くの車屋さんに自動車の輸出方法を伝授してやれと私がここで講師を務めることになってしまったのだった。

ちなみにプリンセストレーディング代表の祥恵と私は中等部の同級生です。

プリンセストレーディング代表の祥恵とは当時、中等部では女子バスケ部で毎日バスケ三昧楽しかったな。中等部ではバスケ三昧だったせいか、校内でもいつもバスケ用のショーパンで授業を受けていたな。同級生の祥恵、うちのプリンセストレーディング代表も同じバスケ部だったけど、祥恵は授業中はよくグリーンのデニムスカート着てたな。

ちょっと私のことを話そう、どうして自動車輸出の世界に入ったのかを

高校時代、やんちゃしていた私は、高校の授業にはあんまり出席していず、英語の授業も中途半端だったが、商社勤務だった父の影響で、私の小学生はニューヨークで暮らしていた。中学になるとき日本に帰国し、武蔵野の祥恵と同じ中等部に入学したのだった。

だから、日常会話程度なら英語は理解できた。

直接、あそこで入札している外国人たちに話しかけてみるか、でもなんて話しかけたら良いだろうか、あなたたちが落札しているその自動車の顧客、海外バイヤーたちを私にも少し分けて下さいなんて言っても、分けてくれるわけもないだろう。

自動車の海外販売を始めてみたいのに、毎日、中古車オークション会場の会場で、落札する外国人たちの姿を、指をくわえて見ているしかなかった私でした。

会社が閉社したとき、当時の社長に今のまなみならば、個人でも十分にやっていけると太鼓判を押してもらえ、そして会社の顧客まで全てまなみに引き継がせてくれた。

私は、個人で中古車オークション会場に出入りし、社長が残してくれた顧客相手に車を仕入れ仕事を続けていた。とはいっても、町の小さな自動車整備工場だ。そんな大口な顧客などほぼいるわけもなくチョボチョボとやって行くしかなかった。

会社に大口な顧客が多数いれば、社長が会社を閉社することもなく、私もフリーランスで活動しなくても会社で仕事を続けられていたわけですし。

相変わらずオークション会場の外国人たちは羽振りが良い。高い車を何台も落札していく。

国内販売オンリーの車屋さんたちは小さく入札し、ショボショボとやっていくしかなかった。まなみも、そんな国内販売の車屋さんたちに混じって、羽振りの良い外国人たちを横目に、ショボショボと入札していた。

私は、自分でもなんとかして海外販売できないものだろうかと考えるようになっていた。

ある日、中古車オークション会場の受付脇に置いてあったフリーペーパースタンド 、そこに置かれた中古車情報ニュースを、私は目にした。普段ならば、フリーペーパースタンド に置かれていても、ほとんど手に取ることなど全くないのに、その号はなぜか気になり、手にしていました。

その業界紙を手に持って、オークション会場の食堂へ行き、食堂で昼食を食べながら、業界紙のページをめくり、読みふけっていました。

ユーストカーNEWS

中古車情報ニュースの紙面には、海外販売で大成功している横浜の貿易会社が特集されていた。その号の一面には、いいものを食べているのだろうか、まるまると太った大きなお腹を抱え、満面の笑顔でインタビューに答えている横浜の貿易会社の社長の顔が載っていた。

すごいな、私も海外販売やってみたいと、その特集記事を夢中になって読んでいた。

その記事の最後に、海外販売やってみたい人がいるなら、うちの会社はいつでもウェルカムだと書かれて、締めくくられていた。

私は決意していた。

その横浜の貿易会社に直接電話して働きたいと直談判した。すると意外にもあっさりと、私は、その横浜の貿易会社に正社員として採用されてしまった。

国内営業から海外営業へ

その会社に、いつもふわっとしたロングのフレアースカートをはいた髪の長い可愛らしい女の子がいた。私は、こういう女の子、女の子した女の子は昔から苦手だった。

私は、ニューヨークでは弟たちといつも近所の公園で野球していた、中等部の運動部、女子バスケ部では活発に祥恵とかとバスケをしていた女子だ。

女の子っぽい女の子とは話がぜったい合わないと思い込んでいた。

この女の子が、横浜の貿易会社で自社ホームページを制作、運用担当しているWEBデザイナーだという。自動車の海外販売は、顧客が海外にいるので、顧客を取るためにはホームページが唯一の営業手段だということを知った。

でも、どうしてもこういう女の子、女の子した女の子は苦手だった。しかし、この女の子が外見のゆるふわとは逆行して、意外に芯が強い野生の勘が鋭い女の子だった。

私に苦手意識を持たれてしまっていることを直感で感じているのだろうか、女の子の方から必死に仲良くなろうと私にすがってくる。

どんな海外バイヤーを取りたいですか。

私が、どこの国の、どんな海外バイヤーをほしいとか希望を出すと、彼女は一生懸命にその国の海外バイヤーから中古車オファーが来るようにと、ホームページに手を入れてくれる。

ゆみは、そんな風に横浜の貿易会社で仕事していたんだ。

実は、このゆるふわな女の子が今井ゆみだった。今井ゆみはプリンセストレーディングのWEBデザイナーだ。私の中等部時代の同級生、プリンセストレーディング代表を勤めている今井祥恵の妹だった。

私は、中等部卒業以来、祥恵とは一度も会っていない、当時はこの女の子が祥恵の妹だとは知る由もなかった。女の子が祥恵の妹だとは知らぬままに、毎日、会社で会って、仕事を共にして親しくなっていた。

そんな横浜の貿易会社ですが、経営方針で社長と私の意見があわず、私は短い期間で横浜の貿易会社を退社することとなってしまった。

私が退社することを知ったゆみちゃんは、年上の私のことを本気で心配してくれた。

大丈夫よ、もともとフリーランスで自動車の国内販売はしていたんだし、もう海外販売で自動車の輸出するやり方はわかったし、1人でもちゃんとやっていけるから。

ホームページは?ホームページが無いと自動車の輸出なんてやっていけないよ。

ホームページは無いけど、オークション会場にいる外国人に声をかけて、彼らから海外バイヤーを紹介してもらうわ。

そうだ!じゃ、私が会社のお休みの日にまなみさんのホームページを作ってあげる。

そして、私はホームページ作りの打ち合わせのため、彼女の家に行くことになった。

なんかここ、昔に来たことある気がするな。京王井の頭線の東松原駅、彼女の家の最寄駅を降りると、彼女の後ろをついて歩きながら、私は感じていた。

ここが私の家。

彼女は自宅に私のことを招き入れた、そこは今井デンタルクリニック、一戸建ての歯医者さんだった。あれ?ここって確か、私がこの家のことを思い出していると、家の中から出て来た祥恵と再会した。

え、まなみ!?

祥恵じゃないの!

私たちは中等部以来の再会を果たしたのだった。

この後は、祥恵社長が無職になった妹のことを話してね。