講師紹介

自動車の海外グローバルビジネス講座へようこそ

ご挨拶

私は、プリンセストレーディングで営業マネージャーをしている小倉まなみといいます。

私は、東京は国分寺に住む父と母の元に生まれました。父は大手の商社勤務で、私の小学生時代は、父の仕事の関係で母や弟と一緒にアメリカ、ニューヨークにて暮らしていました。

ちなみに、プリンセストレーディング代表の今井祥恵の妹、ゆみちゃんも母と一緒にアメリカ、ニューヨークの祖母の家に暮らしていたらしいですが、私とゆみちゃんがニューヨークに滞在していた時期とは微妙にずれていました。

父のニューヨーク赴任が終了し、日本へ帰国すると、うちは、そんなに裕福な家庭ではなかったのですが、弟は近所の公立学校に通学することとなったのに、私のことは吉祥寺に在る私立の学園、中等部に通わせてもらえることになりました。

おかげで、特に裕福な家庭でもない私が、医者の家庭の祥恵とも同級生になれました。

私立学園、中等部では、小さい頃から運動だけは得意だった私と代表の祥恵は、女子バスケ部に入部しました。女子バスケ部が私たち2人の性格にあっていたのか、中等部の3年間は2人ともバスケ三昧でした。

その中等部で私は、ニューヨークで暮らしていた頃に同級生だった岡島良明と偶然にも再会し、1年のとき同じクラスになりました。

※岡島良明はゆみちゃんのストーリーの中に登場しています。

その私立学園は、小等部から中等部、高等部まで続いた一貫性の教育方針で、祥恵は妹のゆみと一緒に、高等部まで進学し、卒業後、医大へと進学しました。それほど裕福な家庭ではなかった我が家は、高等部まで私立学園になど進学することはできませんでしたので、私は、高校は近所の公立へと進学しました。

公立の高校と私との相性は最悪で、高校時代の私は少しグレていました。結果、公立高校は中退し、近所の自動車整備工場にて整備工として働くようになりました。

その近所に在った自動車整備工場の社長は素晴らしい方で、高校にもほとんど行かずに、毎日バイクを乗り回し、学校も中退になった私に、一生懸命に自動車整備のことを教えてくれました。

私の大切な自動車整備の恩師です。

毎日、家から汚い着古したつなぎの作業服で通勤し、仕事が始まれば、一日じゅう車の下に潜りこみ作業しているそんな自動車整備の仕事が、気づけば私は大好きになっていました。

このまま、ずっとここで車の下に潜りこんで自動車整備の作業だけしていたいと思っていた私のことを、社長は中古車オークション会場に連れて行ってくれました。

そこで、私の顔写真が入った中古車オークション会場の入館証を作ってくれて、これからは、おまえが、うちのお店の自動車の仕入れを担当しなさいと私に手渡しました。

「オークション会場に出入りするなら、いつも作業着というわけにはいかないだろう」

そう言うと、オークション会場からの帰り道、社長は、私のことを近所の「紳士服のアオキ」に連れて行き、紺色のブレザーとスカートを購入してくれました。社長は、私の作業着姿を眺めながら、どうせ、こんな女らしい服装なんかしたことないのだろうとレジ脇に置いてあったベージュのパンティストッキングまで一足購入してくれました。

生まれてから、小学校はアメリカ暮らし、中等部も私服で制服がなかったので、私はスカートというものを一度も着たことがありませんでした。中等部の卒業式に、生まれて初めてグレーのスカートで出席して、まなみがスカートを履いているとクラス中の生徒に驚かれたものでした。

それから私は、社長に買ってもらったスカートを着て中古車オークション会場に出向き、お店で販売する自動車を探す担当になりました。

最初はスカートの履き方に慣れず、会社で大股広げてしゃがんだりしていると、同僚のおじいちゃん達に「まなみちゃん、パンツが見えているよ」と言われたものでしたが、今では、おかげさまでミニスカートにロングブーツで中古車オークション会場をかっ歩するようになりました。

中古車オークション会場に出入りしていて、ちまちまと中古車取引している国内バイヤーに対し、何台も一気に落札していく羽振りの良い海外バイヤーたちの姿を目にするようになりました。

私は、社長に中古車オークション会場で出会った海外バイヤーたちの話をしました。社長は、私に、彼らは日本の自動車を海外へ輸出しているのだと教えてくれました。

日本の自動車、日本人の手によって丁寧に製造された自動車の品質は最高で、海外でも高値で取引されているのだと説明してくれました。海外の自動車ユーザーと違い、日本人ユーザーは購入した自動車を丁寧に乗るので、新車は高くて買えない海外バイヤーにも、中古車でも良いから日本の自動車に乗りたいと人気なのだそうだ。

中古車オークション会場での海外バイヤーたちの勢いは止どまることを知らず、その影響は、ちまちまと中古車取引している国内バイヤーたちにも影を落としてきました。

このままでは、全ての中古車取引は海外バイヤーに持っていかれてしまう、うちも海外進出しましょうと、まなみは社長によく進言したものだったが、社長は自分やまなみ以外の従業員の年齢的にも、新しいことにチャレンジしていくよりも、このまま会社を閉社する道を選んだのであった。

会社を閉社するに当たって、まなみのことだけが気がかりだった社長は、会社名義だった中古車オークション会場の会員権を、まなみ個人名義の会員権に変更してくれ、会社が無くなった後も、まなみが中古車オークション会場に出入りできるようにしてくれたのであった。

それから、横浜の貿易会社で、祥恵の妹だったゆみと出会い、中等部以来だった祥恵とも再会でき、祥恵が起業するというプリンセストレーディングに合流することとなったのであった。

私が、中等部の同級生だった祥恵と起業することとなったプリンセストレーディングのメイン事業となった「自動車の海外グローバルビジネス」にご興味のある方は、ぜひ、プリンセスアカウント(ユーザー登録無料)を作成し、ログインしてお付き合い頂けましたら幸いです。

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